HISTORY

パッケージアート70年間の歩み

雑草魂を胸に

70年にわたる会社経営は、その時代その時代の影響を受けてきました。順風満帆ではなかったからこそ、その中で自分たちができること、強みを磨き続けて、今につながってきたと言えると思います。世代を超えて引き継いできた「雑草魂」を胸に、翼をさらに広げて精進してまいります。

戦後復興期

戦後の復興期である1952年、まだ世の中に物の少ない時代、わたしたちの事業は、神奈川県横須賀まで米軍の払い下げ資材の”厚ボール箱”を引き取りに行くところからスタートしました。

その厚ボール箱を改造して再度箱に加工(リサイクル)し直し、主に浅草の靴屋などに卸す仕事をしていました。

引き取りに行くのも、今のようなトラックではなく、オート三輪を使い、東京都足立区から神奈川県横須賀市まで、結構な距離の悪路を、原材料の厚ボール箱を引取りに毎日のように走っていました。

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創業者:小林

高度経済成長期

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大量生産の時代に入り、国内でダンボールが生産されるようになると、厚ボール箱から作られた改造箱は急速にダンボール箱へと変わっていきました。

ダンボール箱は飛ぶように売れて行き、東京、埼玉地域のお客様を中心に慌しい毎日を過ごしていました。
ただ70年代に入りオイルショックの頃から、状況は一気に変わっていきました。
物価が高騰し不況になる中、仕事も徐々に減り、それにともない新しい方向を模索せざるを得なくなったのです。

街には大量生産された商品が溢れる一方で、多品種少量生産された商品が目立つようになりました。
これまでの大量生産の考え方ではなく、数量は少なくても、顧客ニーズに合致した商品が目につくようになってきたのです。

規格化されたダンボール箱だけでは処理しきれない現実の中で、包装資材も多様な用途にあわせて開発されるようになってきました。

「パッケージアート株式会社」と社名変更したのもこの頃です。

時代は進み、多様な商品が溢れ出る方向性がますます顕著になってきた頃、私たちは新たな資材を手がけることで、組み合わせ資材の提案に磨きをかけていました。
バブル期にはファミリーレストランの増加、そこに陳列される土産物パッケージの仕事を手掛けるなど、時代の波にも乗りながら成長してきました。

バブル崩壊後

ただその後は多くの企業同様、わたしたちもなかなか先の見えない時代に入っていきます。

顧客の相次ぐ倒産、大手企業が徐々に国内生産から海外生産へと生産を移管する傾向が強まるにつれ、下請け企業は弱体化し、時代の変化に翻弄されるかのように、私たちの顧客基盤も収縮していきました。

その頃、組み合わせ資材の提案という商売のやり方は、現在のようにネットが発達していなかったので、お互いのマッチング(需要と供給)が難しく、近隣のお客様が年々減ってしまうことは、まるでじわじわと首を絞められるような息苦しいものでした。

1990年代後半から2000年代後半までは新たな手も打てず苦しい時期でした。しかし、プラスチック製の店頭展示台やシャンデリア、照明用などの梱包材などを中心に、できることを愚直にこなしつつ、次のチャンスに備えていた時期でもありました。

ネット販売時代

2000年代後半になってもリーマンショックなど、時代の流れは激しい変化の連続・・・既存のお客様の減少は止まらず、経営環境は依然厳しいままでした。ただ違ったのはインターネットという道具を使いこなすようになったことです。

2006年頃からネットでの販売をスタートし、細々ですが着実にスキルを磨いてきました。そして現在も売れ続けている「ギター用ダンボール箱」「本用ダンボール箱」など既製のヒット商品も増え、いよいよネットをフル活用する方向へ進み始めました。

震災時には大手電機メーカー様から、被災地へテレビを送るための「テレビ用梱包資材」を数百台分購入いただくということもありました。
オリジナルの自社製品がお客様の目にとまり、役に立ったことは1つの象徴的な例であり、忘れられない出来事です。

2008年に自社販売サイト「In The Box(インザボックス)」を立ち上げた頃は、単品資材や既製品の販売が中心でしたが、サイトに載せる取り扱い資材を4,000点以上に増やしたり、オーダーメイド事例を紹介することで段々状況が変わってきました。
これまでの複数資材提案の知識を活かせる場面が増えてきたのです。

インターネットと出会い、お客様との物理的な距離も縮まり、ここにきてわたしたちは以前よりも自由に、自分たちができることを遠方のお客様にも伝えられるようになりました。

「豊富な知識でお客様をバックアップ」

数多く存在する包装資材には、無限の魅力と可能性があると考えています。
わたしたちの挑戦は始まったばかりです。